能と狂言

今日、東京能楽堂へ能と狂言を見に行った。『神遊(かむあそび)』という定期公演。観世さんという方たちが出ていた。

初めての能から分かったのは、動かないという事は激しい躍動を秘めているということ。能の舞は無駄な動きを一切排除する。指先、髪の毛一本に至るまであらゆる無駄を無くす。洗練された動き、磨き上げられた技の醍醐味を感ずる。

奥深さは演者が静止した瞬間。張り詰める空気。気が立ち上る。視覚上位時代に生まれた私にとって、五感がフル稼働、インスピレイション上位時代からきた美は、ただ身震いすることしか体が知覚できぬほど、本能的恐怖の全身で感ずる現象だった。

掠れる声。乾いた、空気を掻くような現象。

動向全開で対峙。敢え無く敗北。無念。

今日も会社に残留予定。読書して自分を慰めよう。鷲田清一さん、よろしく!