新幹線で大阪に向かう時に書いたメモから

Yuske2007-06-10



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高校の同級生のYが、この度、結婚することとなった。
4日の夜に電話で話をしたが、彼の独特の雰囲気、世界観は今もって顕在であると感じた。


彼は、かねてより、話をしていた、心理学の道に進んだ。
演劇をしていた。表現者であり、思想家だった。


今、京都を通過している。


京都、私にとって、京都は懐かしい場所。
人生を変えることになった場所だ。

N先生、T君、I君、K君との出会いがあった。
京都は、自分の内面を開放できるような地に感じる。
昔、イギリスでは、「都市の空気は自由にする」と言われていたが、
京都は「京都の空気は気高くさせる」といった感がある。


当時通っていた路地裏の古本屋、読んでいた本、聞いていた音楽、歩いた道、寺社仏閣、出会った人、考えていたこと、様々な思い出が、一瞬でよみがえるようだ。


生きていること、そえを肯定すること、それを認識すること、自分の存在理由を、問うていた。

自分が何者なのか、答えも出せず、存在理由がなくなることを恐れていた。
それは、すなはち、死すべきまったくの不要な存在であるということを肯定さざるを得ないという
ことを、突きつけられるように思っていたからだった。


裏返しに、それをなんとしてでも覆したい、生命の欲求があったように思う。


そして、ニーチェに出会い(単純だが)、気高く生きたい、そう感じた。



結婚式にあたり、私は崇高なものを感じずにはいられない。
なぜだろう?

二つの存在が、互いに惹かれあい、お互いを理解し、愛し、いつくしみ、手に手を取って歩んでいくことを選ぶ。


これに、純粋なる魂の輝きを見ずにはいられない。
この輝きはどうだ。


目を閉じてみると、神々しくも、水晶のように輝く、二つの魂が混ざり合っていく様が
見えるようだ。


そしてそれは、永遠に続いていく。

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こんな情景が、新幹線の窓の外に見えた。

大阪での2日間は、私の記憶に刻み込まれた。