本当にしたいこと、とは

静かな日曜の夕方、自分の将来について考えてみました。
「将来について考えること」自体は、何の価値もない、とも言えます。
何故なら、「将来」=「未来」は、全く、予測が不可能だからです。
従って、「将来」について、あれこれと「悩むこと」は、実は無益なのかもしれません。


でも、そんなことも考えながらも、将来について考えてみました。


何がしたいのか?
ということですが、最終的には、自分の欲望を満たした後は、何が残るのかというと、
やはり、将来についてなのです。
結局、結論は、未来についてになってしまいました。


特に、「社会問題」は様々ありますが、根本的に解決する「手段」としての、「教育」
に対して貢献したい、という気持ちがあります。


世界中のどの問題もそうですが、全部、人間が作り出したものだと思います。
戦争の引き金は人間ですし、環境破壊もそうです。人間がいなければ、木々はこんなに切られて
なかったでしょう。アル・ゴアさんの「不都合な真実」の内容が、全て正しいのかどうか、
専門的知識がない私には、判断できませんが、半分でも合っているとすると、我々は、緩やかな自殺をしているに等しい、といえます。

あまりに、進行状況が目で確認しづらいため、数字で確認しづらいため、気づいていないのでしょうが、地球の環境は急速に変化しています。
我々の多くが生まれた時は、すでにもう環境が破壊されだして、久しい状態だったのです。


環境問題は、あくまで一例に過ぎませんが、与える影響の範囲と、影響する人数からして、巨大なもので、どれくらいの被害が、将来的に予測することは、非常に難しいと思います。


思うのは、やはり、根本原因である、人間そのものをどうにかしていかないと、この問題は解決しません。また、改善されず、悪化する、と思うのです。
もはや、モラルの低下、環境の変化などは、坂を転がるスピードが速すぎて、緩めるので精一杯です。
これにはやはり、教育が必要になってくる、と思うのです。


日本から出たことがない私にとってでさえ、日本は世界的に見て、とても成功していると思います。
ただし、「現在のところは」という枕詞をつけないで、そう言うことは難しいでしょう。
私は、もしGHQが取った作戦が、「日本人を骨抜きにすること」だったとしたら、相当程度、その作戦は成功した、と思っています。「アメリカに逆らわないようなマインドにする作戦」だったり、「アメリカに対して、何故かいいイメージを無意識に持っていて、悪いイメージを抱きにくくする作戦」だったとしても、成功している、と思います。


その作戦がどうこういうのではなく、今のままの教育では、国際競争に勝てない、と思うのです。
我々の教育が成功したのは、前時代で、時代は刻一刻と変化しているので、それに対応していかないと、潰れる、ということを、今の教育制度を作る人は、知っておかなければいけない、と思います。


極論かもしれませんが、大前研一のような人が、文部科学大臣になればよいと思います。
もしくは、教育方法を外国から仕入れて、国内に展開するための特務機関のようなものを作って、そこのお偉いさんにでも据えれば言いと思います。
今のやり方が間違っていることは明確なのに、同じやり方で、成功しようとするのは、バカです。


私は、電車の中などで、マナーが悪い人を見る度に、それは、その人も悪いが、その人がそのように振舞っていることに対して、何も言ってこなかった、全体としての周囲も、相当程度にその行為を社会に浸透させることに荷担している、と思っています。
人間は、悲しいかな、どうしても悪い方へ楽な方へ流れていきやすい存在です。
染まりやすいことは、よいことにも、悪いことにも柔軟、ということです。


今また、外国から学ぶべきことが沢山あります。
それをできるだけ早く、吸収していく必要があります。


ああ、私には、何ができるだろう。