思えば高校を卒業してから、自分勝手に生きてきた。

予備校に行って、進学に必要な勉強もしないで、本ばかり読んでいた。
京都にいたから、各地の自社仏閣を回った。お金がないから歩いて回った。
京都の南九条から、北野天満宮竜安寺まで歩いた。百万遍の辺りまで歩いた。宇治まで歩いたこともある。
結局、京都では受験に失敗し、人生に成功する手がかりを得た、ような気分になっていた。出会った人間の中で、私の人生に大きな転換点を与えてくれた人たちに出会った。

N先生、I、K,T,みなそれぞれ元気でやっているみたいだ。
親友Iは京都大学に進学、ハワイ大学の留学から最近帰ってきたばかり。
Kは東京のネット関係の上場企業で働いていて、最近辞めた。
Tは現在も大阪大学で、法学部なんだけど、法律の勉強はやってない。

私は京都の後、自分の人生について考えた。みんなが行っている大学、というものは、本当は何のために存在するのか?そこで得られるものは何か?どうも、あの集団の輪の中に入ることに抵抗がある、だって、みんな品がなく、堕落している。
なんて思っていた。もっと、みなが真摯で、真剣な場に身を置きたい、などと、さも自分が真摯なものの一人であるかのような錯覚を起こし、普通の道に行けたものを、さらなる若干の回り道を選択するという珍事を起こした。

岡山で予備校に行った。京都大学が面白そうだった。でも、本ばかり読んでいた。哲学書メインで、経済、歴史、ビジネス(ファイナンスがメイン)、法律、宗教、民俗学、文学、古典、社会学、心理学、物理学、ありとあらゆる本を読んだ。アートの展覧会には何度となく足を運んだ。

そのうち、海外への道が自分を呼んでいるような、これまた錯覚に陥る。堂考えても自分は日本の社会、風習、習慣に向いていない。だって、これほどまでに理不尽な環境はないぜ?なんて思っていた。右にならえをよしとする社会にいることが昔からたまらなく嫌だった。

オリジナリティを消そうとする機能があるのが死ぬほど嫌だった。

海外へ行こう。

そう決めた次の日に、東京にある留学準備の学校に行くことにした。
まずは日本の頂点、東京を見てやろう。一年くらい住んでみて、日本の最先端を体に取り込もう、と思っていた。