メメント・モリ

書きかけ、です。

イタリアの、失われた街、ポンペイの話をします。

昔、ギリシャイカロスは・・・

営業マンは毎日、朝から夕方まで外に出ずっぱりだ。
私はみなさんが静養に行くような山奥の出身なので、天気とともに生きてきた。なので、天気にはちょっぴりうるさい。
趣味が、歌を詠むことなので、天気、季節とその抒情には、余計にうるさい。

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ちょっと話がそれるんだけど、今日の営業中に太陽を見ていたらこんな歌を思い出した。知ってるかな?



みなさん、
「♪む〜かし〜 ギリシャの〜イカロ〜ス〜は〜♪」
って歌、覚えてますか?


小学校のとき歌った記憶がある。
私はこの歌が、好きという訳ではないのだけれど、忘れられない。
ちなみに原題は「勇気一つをともにして」というんだけど。


イカロスは蝋を以ってして羽を作り、太陽に向かって飛び立った。
なんとも、情景が浮かび上がってくる歌詞だこと。
ギリシャ・ローマ風のサンダル履きの、片方の肩から垂れた布を纏い、腰に巻いた布の先からは筋肉質のしなやかな足が伸びる。。。みたいな人、なのよ、多分、イカロスさんは。

何でかしらないけど、太陽に近づきたかった、んだよなイカロスさん。


この歌、メロディーが、小学生向きじゃないなあ、とずっと思っていた。
なんていうか、人間存在の儚さを感じる。生きていることの終わり、努力が、儚く散るような、なんというか、小学生にこの無常観、力一杯やって、それでも叶わないものがあって、無念に散っていく人間の花の、言い知れない無常さがわかるのかなあ、なんて思う。

最後なんて、翼は太陽の熱で段々と溶け始めて、イカロスはもう逃れられない。
翼が、儚くも、眼下の海に雪のように散っていく様がありありと見えるようだ。

でも、歌詞の最後の
「だけど僕らはイカロスの、鉄の勇気を受け継いで 明日に向かい 飛び立った」
という部分があるが、この部分の解釈にはこの歳になっても疑問が残る。

特に、「鉄の勇気」の部分が、大変気に食わない。
ニーチェを読んだことがある人には通じるかもしれないが、イカロスのここでの一連の行動は、まさに、太陽への熱望だった。彼は、大空の支配者であり、全ての生を司る理(コトハリ)の始原者である太陽に、どうしても近づきたかった。
彼は太陽を熱望していた。彼は、太陽と同存在になりたかったのだろうか、いや違う。彼の本能は、全身全霊で、至高存在である太陽を、ただただ熱望したのだ。
それに触れてみたいとか、それになりたいとかではなく、ただ、近づきたい。


私にはこのイカロスの行動は、さも精子卵子を目指して旅をするように、本能の部分にインプットされた行動のように映る。運命とかでもない。
イカロスは、それをせざるを得なかったのだ。
恐らく、イカロスはこのとき、頭で考えてはいない。
イカロスの体は、いや、イカロスという存在は、生れ落ちたときから、太陽へ向かうようになっていた、とでもいうような、私はこのイカロスの行動に、何か左脳的ではない、生き物が本能に突き動かされてする行動の中にある、神秘的なもの、崇高なものを感じずに入れない。


ここで、崇高な精神といってしまうと、何か意図を孕むようなニュアンスになるので、これは違う。やはり、言うなれば、崇高な魂と言った方が意味的により近しい。


私は、このような、生物の根本にインプットされたある種の、私たち人間が変えることのできない領域の事柄に、美しさを感じずにいられない。
そこに、宇宙律ともいうべき、私たちの背後にゆっくりと流れる、大きな宇宙の流れを感じる。

私はアグノスティックなので、至高存在があるかないかの議論には参加しないが、こういう、なにか目に見えない仕組みが動いているようなものに関しては、神という存在を信じる人々がいうところの神の手のひらとは、こういうことを言うのだな、と思ってみたりする。


今でも時々、空を見上げては、「む〜かし〜 ギリシャの〜イカロ〜ス〜は〜」
を思い出す。
そして、思い出すたびに、私たちは、本当は羽ばたいて行きたいのに、羽ばたく術(すべ)を忘れた存在のような気がしてくるのである。
現代においては、私たちは、羽ばたこうと思うと、すぐに飛行機に乗ってしまう。

そうして羽ばたき方を忘れていった。
私たちはたしかに飛べるけれども、羽ばたいてはいない。


イカロスの羽は、溶けてしまうけど、たしかにイカロスは羽ばたいたのだな。
そ彼の目には、ただ、赤く燃える太陽しか映っていなかった。
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ちなみに、イカロスの歌詞は

1.昔ギリシアの イカロスは
  ろうで固めた 鳥の羽根
  両手に持って 飛び立った
  雲より高く まだ遠く
  勇気一つを友にして

2.おかはぐんぐん 遠ざかり
  下に広がる 青い海
  両手の羽根を はばたかせ
  太陽めざし 飛んでいく
  勇気一つを友にして

3.赤く燃えたつ 太陽に
  ろうで固めた 鳥の羽根
  みるみるとけて 舞い散った
  つばさうばわれ イカロスは
  落ちて命を 失った

4.だけどぼくらは イカロスの
  鉄の勇気を 受けついで
  明日へ向かい 飛び立った
  ぼくらは強く 生きていく
  勇気一つを友にして
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こんな感じです。思い出した?

また、イカロスの本当のお話はこんな感じ
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昔、ギリシアイカロスという少年がいた。父のダイダロスは道具や仕掛けを作る名人で、国王ミノスに命じられ迷宮を作った。

 ミノス王はその迷宮の奥に怪物を飼い、毎年いけにえに7人の少年と7人の少女を迷宮に入れた。

 これを知ったテーセウスという勇敢な少年が自らいけにえをかって出て、怪物を剣で刺し、入り口から伸ばしておいた毛糸をたどって迷宮から脱出した。

 怒ったミノス王は、ダイダロスイカロスを城の高い塔に閉じこめた。しかし、ダイダロスは、鳥の羽根を集めて、それをロウを溶かして固め、大きな翼を作り、それを腕につけて塔から飛び立って脱出することを計画した。

 できあがった翼をつけ、飛び立とうとするときに、ダイダロスは息子のイカロスに、次のように注意をした。

 「あまり高く飛ぶと太陽の熱でロウが溶けてしまうから、気をつけなさい!」

 しかし、空を飛ぶ喜びで夢中になったイカロスは、父の忠告を忘れ、空高く飛び上がったため、翼がばらばらになり、海に落ちて死んだ。今でもこの海をイカリアと呼ぶ。
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ああ、書くの疲れた。
昔は、こんな、たとえば歌の解釈で、友人と夜を明かして何時間も議論した。
懐かしい。