新宿

人口850人の田舎から初めて東京に出て来た時、新宿西口のビルの光景に圧倒された。

見上げているだけで目がくらみそうになった。
右も左も分からないとは正にこのこと、新宿中央公園の周りを3周ほどしたあと、
ようやく新宿駅に着いた。
来る前に地図であれほど調べていたのに、真逆の方向に歩いていたのだった。

ちなみに、私が初めて東京に来た日の前日、新宿中央公園で爆発事件があったと、その日の夕方にご飯を食べた友人に聞かされて、早くも背筋が寒くなったのは今でもよく覚えている。



歌舞伎町案内人

私はこの、李小牧さんのお話が大好きだ。話っていっても、彼が見てきた歌舞伎町の日常なのだが。

かたや中国から渡ってきた外国人、かたや日本の田舎から出てきた私だが、妙な親近感を覚えずにはいられないのである。

しかも、出てきてから新宿5丁目(昔クイーンズ伊勢丹があったところの横のビル。一階にサンクスが入っている)に住んでいたので、歌舞伎町は朝晩の通り道だった。余計に身近に感じる。


東京は私にとって外国だった。
今でも「仮の住まい」だと思っている。
地方出身者にはこの感覚が分かるかもしれない。
東京に、100%は混じれない感覚、かといって地元にももう100%は溶け込めない感覚。この感覚とうまく付き合っていける人が、東京で生きていけるんだろうな、とふとした瞬間に考えてしまうのである。

2階に位置する喫茶店で窓際に座ったときなど、街行く人の中に、明らかに地方から出てきた人を見かける。それを眺めながら、「いままでの日常」を捨て、「新しい日常」を手にしようとしているけれど、一旦「今までの日常」を捨ててしまうともうそれには戻れなくて、それでいて「新しい日常」には完全に溶け込みきれないどっちつかずな、寄る辺のない、覚束無い、感覚が脳裏に蘇えって来て、しまう。

そんなときは、ただただ、ビルの合間と合間に消え行く人々を、波打ち際の波のように眺めていると、気がついたら夕方近くになっている。

そして、にわかに、郷里の谷間に消え行く夕焼けなどがフラッシュバックしてきて、
半ばを過ぎた線香花火を見るような気分になるのである。