実家から本を持ってきた

実家に11月1日に帰ってきた。
近くの、津山に22時頃に着いた。
駅の周辺からして、かなりの霧が出ていて、時速40Kmくらいで走っていてもかなり危ないくらいの濃霧。
霧は、川の近くに多い。水蒸気が蒸発して、気温のバランスと湿度のバランスなどの条件が満たされて、発生する。湿度が高くて、空気中に発散しきれなくなった水分が、蒸発もできないし、どうしよう、という感じになったのが霧だ。

津山に住んでいた頃は、霧が頻繁に起こった。
実家のある富村でも、朝霧はよく起こった。

東京では、霧はほとんど起きない。
都心には川がないからだ。(神田川とかはありますが)



フランクルの夜と霧

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

を実家から持ってきた。
夜と霧には、いくつかの訳書があるが、私が持っているのは、1985年に出版されたものだ。
京都に住んでいた時に、古本屋を沢山まわって、昭和20年代に出版された哲学書、物理学、数学などの本を何冊か購入したことがあった。昭和30年代、40年代の本はまだ、言葉遣いが今とは違っていて、文語調というか、現代の本に見られるような文章の綴り方とは全く異なった語調で、文章が書かれていた。

そして、実に表現方法が豊かであった。
用いられる語句にしても、単語が豊かで、今よりずっと多くの語句が使用されていた。


今の人は、たとえば、柳田国男などの著作を読んだことがあるだろうか。
比較的読みやすいものであれば、

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

毎日の言葉 (新潮文庫)

毎日の言葉 (新潮文庫)

などがある。


また、明治くらいの文豪と呼ばれる人たちの著作を読んでみるのもいい。
太宰治などは読みやすいし、芥川龍之介夏目漱石なども読みやすい。

ちょっと、テレビの所為という部分が多いと思うが、日本人の日本語力が確実に落ちているので、英語普及運動と同じくらい、日本語力(国語力)を高めた方がいいと思う。


語彙の数は、知識の数とも関係あるし、思想の深さとも関係が深い。
新しい語彙を知ることは、つまり、新しい概念を知ることである。
人は、概念を知らないことについては認識できない。
認識できていないことについては、関心を寄せることができない。


言葉の力を高めるために、言葉をもっと豊かにするように運動がしたい。