昨日寝たのが4時半

起きたのが8時、そんなに眠くなかった。
日中用事を済ませて、帰ってきた。

部屋の改善をしようと思ったんだけど、できず。今週、一日だけ早く帰ってやろうと決意。

今日はひとまず、山のようにある雑誌たちに別れを告げよう。
THE21とビジスタの山。

昨日の電話で、自分の中のじめじめしている部分が明確になった。
必要以上に賢く見られたかったり、知識を重視しすぎて、そればっかり前に出したり、理論武装して安心していたり、結局、理論を固めて行動はしていなかったり、怠惰な部分や、事実をすり替える部分、卑怯な部分、卑屈な部分が明確になる。

人間は太陽のように一点の陰りもない存在などではなく、月のように満ち欠けがある。なんて、何でかしらないけれど、こんな「フレーズ」ばかりが頭に浮かんでくる、俺。自分の作り上げた幻想の世界、理想的な世界に居て物事を解釈しようとする。安全で、自分が傷つかないから。いつも、自分を安全な位置に置いて、それから発言する。十分に対峙していない。いつも間接的である。

そう、私は感情を押し殺している。悲しみや恥を受けるのが怖い。傷つきやすいから。それらを受けない。情報として処理する。その代償として、喜びや楽しさも失っている。ロボット。

氷の牢獄から、乾いた声で全力で叫んでいる私がいる。
自分が一番耀いていた時期はいつだったろう。あの時のように、毎日が感じられたら、毎日とはなんと素晴らしいものだろう。起きたときに何の心配もなく明日が訪れているというのは、なんと素晴らしいことだろうか。
思う、生きている喜びを感じることは、何物にも変えがたい。それを、いま、必要としている。それはちょっとした出来事で容易に得られることなのかもしれない。それが得られないのは恐らく、私がそれを得られないと思っている殻に違いない。すなわち、私はそれを得られないと知っている。私はそれを得ないことを決定している、ということだ。私に訪れる現実は、それが紛れもなく訪れない、という事実に他ならない。

私には同じことを違う表現の仕方、記述の仕方で何回もいう癖がある。

しかし、よくこんなにだらだら書けるなあ。全く現実の片鱗も混じらない、全て自分の頭の中で展開されている事柄で、よくこんなにスパイラル的に考えるものだと、自分でも、おかしいんじゃないかと思ってしまう。

自分が頭の中で考えてることが全部活字化されると、案外こんなようなものなのかも知れない。吉田兼好のように、これこそまさしく「こころにうつりゆくよしなしごとを そこはかとなくかきつくれば あやしうこそ ものぐるおしけれ」だ。いや、正しく其の通。




新訂 徒然草
バイブルの一つ。


ラ・ロシュフコー箴言
アフォリズムって好き。

明日から会社。段々と夏が来る。苦手。太陽が、まぶしいから。頭悪い暑さに、乾いたものを感