昼寝をしたときのことだ。夢を見た。

そこには、幸せに満ち足りた自分がいた。幸せなときは、不安がない。幸せなときの不安は、解決可能だと信じられる不安だ。
よく覚えていないが、起きたら泣いていた。ようだ。

私は私の魂が何を求めているのかわからない。そして、魂の叫びの代弁が、衝動的な行動となって現れる。自分自身、こうした衝動的な行動に戸惑う。

夢物語を頭の中で創り出しては、しばしそれに酔いしれ、酔いが覚めて、ふと我に返ると絶望する。

昔は漠然とでも、未来に希望の光を見ていた。現在は、それは暗闇でさえなく、何もない空間が、ただそこに、ある。まさしく、虚がそこにある。

覆うものがないような不安、自分という存在が気体になって、発散して消えてしまうような感覚の不安。内側からノックしてくる、不安。

目に見えるものの全てを信じることのできない不安。以上に、目に見えないもの、人間の美しい部分、感情に起因する、本能に起因する素晴らしいものを信じられない不安。

ただ生きることなの中から、生きる喜びを見出したい。魂は、セピア色の背景に溶け込もうとしている。窓際の忘れられたドライフラワーのように、忘れられて久しいもののような感覚。

私は私の生に関心がなくなっている。生きる喜びはどこに?よく生きることとは?カーぺ・ディエム。

私は型番が付いた量産品ではない。量産品ではない。

パッション、情熱が欲しい。いつまでも耀く蛍光灯のような光ではなく、弱いけれども、自ら燃える、蝋燭のような火が欲しい。

私は、私の天分を全うしたい。私の、レゾン・デートルを、役割を全うしたい。

「人生は舞台である。人は誰でも、その上では、自らの役割を演じなくてはならない」by William Shakespeare