この部屋から世界が
「父母が 頭掻き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる」
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「ちちははが あたまかきなで さくあれて
いいしけとば(言葉、ここでは「けとば」が正しい)ぜ わすれかねつる」
中学校の時に習った歌だ。俳句・詩吟が好きだった。
この歌は今でも時々思い出す。
万葉集は、そのおおらかな作品の風情が「ますらおぶり」と呼ばれるとおり、
作品自体が生きている。体温と、呼吸がある歌が多い。
古今和歌集、新古今和歌集なども好きだけど、やはりこれらは「作品」的だ。
絵画の好みと似ていると思う。
「フランダースの犬」のネロが見て感動したルーベンスなどは、キレイだと思うけど、やや苦手分野。エゴン・シーレが好きとかいうと、変態扱いされるかな?
ルオーとか好きだなあ。もちろん、Goghは大好きです。
やや狂った方がいいね。
週末、ヒルズにレオナルド・ダ・ヴィンチ展を見に行こうっと。
美しさの種は、狂気の中にある。
(「青い種は、太陽の中にある」 from 「異邦人」
by アルバート・カミュからのもじり )
世界を変える最短の方法は、自分が変わること、なんだろうな。
こんな話はどうだろう。
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昔ある男がいた。彼は熱心な神父で、来る日も来る日も、お祈りに来る人々に神の教えを説いた。
そうして40年が過ぎた。
彼は、今まさに、病気でこの世を去ろうとしていた。
病床で、彼は最愛の妻に言った。
「私はこの40年間、毎日毎日、神のお言葉を代弁してきた。雨の日も風の日もだ。子供たちにも、盗人にも、わけへだてなく、教えを説いてきた。一方的にではなく、彼らの言葉にいつも耳を傾けようとしてきた。
しかし、状況は何一つ変わっていないのだ。彼らは、何も聞いていないのだ。未だに貧しいままなのだ。
私は、死ぬ間際にして、ようやくわかったことがある。それは、私はこの40年間熱心に人々に教えを説いてきた。だがしかしそれは、彼らを変えようとしていたのだ。
今ようやくわかったよ。先ず始めに、私自身が変わるべきだったのだ。」
そういうと、彼は息を引き取った。
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今際の際(いまわのきわ)で、ようやく気づく。
世界を変えるには、私が変わることからなのだと。
Rの言葉「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
は、自ら回る車輪をイメージさせる。永久機関、回転する光の輪。
運命に身を委ねる、とは詩的で美しい響きのする言葉だが、私は、運命を信じない。
運命とは、私の意志の元、実現されうる予定の未来であると確信する。
この、6畳の部屋から、世界が変わる。
いや、世界はもう変わり始めている。
あとはそれを見に行くのみ。
私はそれを見に行こうではないか。